トンネル、石橋の数が日本一。
そんな大分県で、これからも絶対に必要とされるであろう仕事が、測量・設計・土木である。
大分県内はもとより、福岡県など隣県からの依頼も絶えない衛藤測量設計は、
6名の測量士が在籍する少数精鋭集団。
30年以上にわたり、地域の安全を守り、利便性の向上に関わってきた。
3Dスキャナー、高性能ドローンなど、県内でも数社しか導入していないような最新技術、機器を積極的に導入し、ICT化も着々と進めている。
それも社員の安全を守り、効率化することで、より良い仕事ができるという信念から。
その信念の秘密を探るべく、衛藤測量設計の設立から現状の仕事について話を聞いた。
代表取締役社長:衛藤秀司さん
導かれるように出会った測量という仕事
衛藤社長と測量との出会いは、幼少期にさかのぼる。
「測量士と建築士の資格を持っていた母方の伯父が退職後、その資格を活かし、南宇佐で設計事務所を始めたんです」
近所の建築屋から依頼が入るようになり、忙しくなった伯父は衛藤社長の父親に「測量せんか?」と聞いたと言う。
「農業一本の父親は断ったらしいんですけど、私は小さい頃から見ていた伯父の仕事に興味を持ったんです」
そして測量や設計、工事が学べる農業高校(現 宇佐産業科学高校)に入学する。忘れもしない高校入学式の日、林先生が言った。
「うちの高校では2年で測量士補、3年で測量士を取る人がいる。資格を取ると会社を開けるんだ」
その言葉で「測量をしたい」とはっきりと意識するようになった。夢を持ち続けて勉強に励み、迎えた高校3年生の時、「お前は専門学校(に進学)でいいか?」
と父親が声をかけてくれたと言う。
「とてもありがたい申し出でした。1つ上の姉はすでに専門学校生、弟は4年制大学に進学する予定だったので、学費負担が重いことはわかっていました。だから、行かせてくれるだけでもありだがいことで。『行かせてくれるならいいです』と言いました」
26歳で独立。“測量”という仕事をつくってゆく
1年間、国土地理院出身の先生が立ち上げた専門学校に通わせてもらった衛藤社長。卒業後、測量会社に入った。
「『骨を埋めるつもりで働いてくれ』と言われて、口では「はい」と言ったけど、心の中で独立を考えていました」
一通り測量の仕事を覚えた頃、東芝からパソピアというパソコンが発売された。ハードディスクも付いていないが、当時としてはハイスペックなパーソナルコンピュータだった。
勉強してプログラムを組んだ衛藤社長。
「三平方の定理を組んでいくと面白いんですよ。もし入力を間違えたら『バカタレ』とアラートが出るようにプログラムを組んで、夢中でコンピュータを使っていました。気づいたら夜中の3時とかよくあったけど、面白かった」
入社から4年後、専務が辞めて会社を立ち上げるタイミングで、その会社の取締役として入った。
「『独立せい』と言われていたんですが、まだ早いと思って入社しました。ただ、やり方が合わず3年で辞めました」
そして26歳で独立。高校入学時に抱いた夢が、ついに現実となった。
「当時は“測量”という仕事自体があまりなくて、建設会社の土木の仕事をやらせてもらっていました。日出や院内で12、3社お付き合いのある会社ができました。毎日どこかの現場に行って、測量して(建設会社が)工事できるように仕事をしていました」
仕事も従業員も失う。決意の大転換
月日が経つと取引先の建設会社が成長し、自社で技術者を抱えるようになると仕事が減っていった。
「転換しなければ」
衛藤社長が最初に取り組んだのが、公共測量の入札だった。
「会社設立当初は請け負っていた役所からの仕事もなくなっていたので、色んな人の助けを借りながら入札に入っていきました」
徐々に再び仕事を得られるようになったが、会社経営は簡単ではなかった。
「従業員が一人もいなくなってしまったこともありました。周りからは『どげんすんのかい』と言われて。ただその時も、付き合いのある人が現場に来て手伝ってくれました。役所の人にも未だにお世話になりますし、本当に人に助けられています」
自然の恵みが豊かな大分県は、それゆえ実はトンネル、石橋の数が日本一。安全を守りつつ無駄のない工事予算を正確に算出するには、高い技術に裏打ちされた精密な測量が欠かせない。
「ゼネコンから『高速道路に架ける橋の端の位置を出してくれ』と依頼されたり、大規模な公共工事になると道路から建物の測量、設計まで10年にわたってお付き合いさせてもらったりすることになります」
いい仕事をすれば、次に繋がる
工場建設中の現場から呼ばれたこともあった。
「どうも(設計図と建設現場の)位置がおかしいから見てくれ、と。測量したら5mくらいずれていたので、工場の設計をやりかえました」
困った時にこそ助けを求められるのは、長年積み上げた実績があるからこそ。
「ノウハウがあるし、すべて建設会社との繋がりからできています。一つの会社に対していい仕事をすれば次に繋がります。変な仕事をすれば次はない」
一つのミスが危険を生む仕事だからこそ、わずかな妥協も許されない。
「ちょっとしたミスで億単位の損失が生まれるので、間違えられません」
そんな話をしていた時、事務所の電話が鳴った。少し前、初めて一緒に仕事をしたある建設会社の社長からだった。
「『着工前にいい測量ができていたから、工事の出来が良いと役所から褒められました。これでお宅を信用しました』と。最初から信用しろって話ですよね」
冗談めかして笑う衛藤社長の表情からは、確かな仕事を積み重ねてきた自信がみなぎっていた。
測量のやりがいと働き方改革
「この辺りもどんどん道路が広くなっています。現況を測って、設計が入って、土地の買収、工事という一連の流れででき上がっていきます」
道路や橋、建物と違い、測量の仕事が最終形態として人々の目に触れることはない。それでもこの仕事に自負がある。
「高校の先生が『長靴を履いている時が仕事』と言っていたんです。現場で測ってなんぼと。晴れた日は外で測量して、雨が降った日は事務所で図面を描く。昔は日曜日もなかったですね」
時代背景もあり、夜遅く帰り、朝早く出社する毎日。子育ては奥さんに任せきりだった。そんなある夜、帰宅すると老齢の父親が庭に立っていた。
「僕を見て『まだ息子が帰ってない』と言うんです。弱っている父親を見て可哀想だった」
働き方を考える一つのきっかけにもなった。
「今の時代は(私の時代のような)働き方はできない。土日は休み、残業も40時間を超えないように。ただ、飯を食わないといけないし、(経営者として)仕事は取っていかないといけない」
最新機器・技術の積極活用で安全性の向上、利益アップを
働き方改革は気合だけではできない。根っからの新しいもの好きも手伝って、必要な機器、最新技術は積極的に導入する。
「いつもメーカーに『何か新しいもの出たら教えてください』と声をかけて情報を仕入れるようにしています。機械を使って仕事を早くして、社員の危険を回避し、安全性の向上、時間短縮、利益アップを目指したい」
実際、近年仕事の効率化は急速に進んでいるという。
「現場に行って手作業でやってたのが、機械を使ってどんどんできるようになってきているのがすごいですね。例えば高さ測る電子レベルは、以前手で回していたのが、全て電子化されました」
かつては現場で一つずつテープを貼って点を置き、メモして、事務所に帰ってから点を繋いで図面を手描きしていく。そんな作業が電子的に自動化されるようになった。
数年前に社運をかけて導入した高性能の3Dスキャナーは、早々にその力を発揮した。
「豪雨で大規模な土砂災害が起こった現場からの依頼でした。土砂が70mにわたって崩落し、川に堆積していました。道路も崩壊してガードレールがぶら下がっている状態。測量のために人が近づいた時に万が一土が落ちれば、命を失うような現場です。それを3Dスキャナーを使って人が近づくことなく、落ちた土の量を正確に測定できました」
手作業なら3日はかかるような現場で、わずか2時間で1万4,000立米の土砂量を算出。
「(依頼元の)建設会社の社長もびっくりして、喜んでくれました」
プラスアルファの仕事が新たな仕事を生み出す
常により良い測量とは何かを考え、体現していくことも忘れない。例えば、測量したデータを平面図に落とし込んでほしいという依頼の時、衛藤社長は独自にもう一つのデータ(図)もつける。
「地面で実測したデータとドローンで上空から撮影、計測したデータを重ねたオルソデータを作って、依頼元にお見せしています」
平面図を簡潔に表現すれば、等高線によってできた図。測量データは記載できるが、例えばそこに木が生い茂っているとか、小さな空き地があるといった実情を視覚的に理解するのは不可能である。
平面図に実際の写真からできたオルソデータをつけることで、視覚的に一瞬で実情がわかり、現場の把握に非常に役立つ。依頼がなくとも、相手の仕事がよりやりやすくなる方法を見つけ出し、具体的に示すことを繰り返してきた。
「こういう仕事ができます、というアピールになるんです。結果的にその後の仕事に繋がっていきます」
仕事を一任できる少数精鋭メンバーとチームワーク
衛藤測量設計では、30代から70代まで幅広い年齢層のメンバーが活躍する。段取りは、30年以上勤める専務が行う。実は専務、高校生の頃からアルバイトで来ていたからというから驚く。
「現場は、基本的にみんなに任せています。月曜日に社内会議をして、この現場はどうなっているかという報告を聞きます。アドバイスがあればするけど、必要なことはほとんどない」
とメンバーへの信頼は厚い。
「穏やかな人が多いです。和気藹々と仕事をしつつ、いろんな現場をみんなでカバーします。ペースメーカーを入れている人もいるし、(年齢や身体の問題で)現場に出ることが難しい社員には図面を描いてもらったり、災害の資料を作ってもらったりしています」
入社後、どんな手順で仕事をしていくのか聞いてみた。
「専門学校では標準的な基礎しか教わらないので、一からスタートと思ってやりながら覚えていってもらいます。測量の際、十字の印を機械の中心に合わせる作業一つとっても最初は難しいので慣れることが大切です。業務で使うコンピュータのプログラムは会社によって違うので、使って覚えていきます」
会社の物的資産をどんどん使ってほしい
新入社員を含む、メンバーに期待することを聞いてみた。
「今ある機械をフルに使ってほしいです。せっかく投資したので。役所や受注元から言われなくても、うちなりにこれを使ってどうできるか考えてほしいと思います。いい意味で、合理的に楽するやり方を見つけてほしい」
GPS機能で飛びながら三次元のデータが取れる高性能ドローンでも、やってみたいことがあるという。
「測量士補の田中くんが自分でドローンの免許を取ってくれたんです。今後はみんなに免許を取ってもらって、みんなが満遍なく使えるようにしていきたい」
実は、衛藤社長の新しいもの好きは父親譲り。
「田んぼをすくのは牛が当たり前だった時代に、耕運機が出たらすぐに買うような人。カラーテレビもすぐに買っていました。金曜日の夜に、集落の人が4〜5人プロレスを見に集まるのが日常でした」
仕事のやり方は常にアップデートする
最後に衛藤社長が目指す測量設計の仕事について聞いた。
「この仕事は言ってみれば環境に対して反対のことをしています。ただ、それによって人間が助かる。これからは地球のことを考えて作れるコンサルタントにならないと生き残れない」
予想外のことが次々と起こる現代だからこそ、常に知識、技術をアップデートする必要があるという。
「高校の時、コンクリートは100年持つと言われていましたが、今となっては50年しか持たないことがわかりました。阪神大震災で高架橋が倒れたのも想定外。だから今は、橋梁点検など調査の仕事が多い。その点、石橋は何百年どころじゃないから、昔の人の知恵はすごいですよね」
大きな地震があるたびに、設計が変わるという。
「講習を受けたり、資格を更新したり。測量という仕事は変わらないが、工法は変わっていく。仕事のやり方は変えていかないといけない」
他業務への挑戦、特許取得を目指して
この道40年の衛藤社長には、もう少し先の未来も見えているようだ。
「将来は歩いていったら測量ができる時代になるのではと思います。位置情報が正確に出るアプリで基準点を測れるとか、歩いた軌跡がわかるとか」
もう一つ、衛藤社長には目指すことがある。
「(病気で)医療用酸素ボンベを使っているのですが、持って回るのが大変。みんなが楽になるように改良したものを作ってみたいし、工場も作ってみたい。それには技術もいるし、資産、お金を作らないといけない。手始めに今は出し入れが面倒な酸素ボンベのホースの使い勝手を良くしたい」
他業務への挑戦や特許取得にも興味があるという。
「それが何かというのはわからないが、一歩前に出ないと。会社を始めた時も『よく会社を興したな』と言われましたが、一歩前に出たかどうかの違いです。やる人の気持ちじゃないかと思います」
設立5年以内で潰れる会社も少なくない中、30年が過ぎた。
「駆け足で来た。猪と同じで突っ走ってきた。みんなにも迷惑をかけたと思う」
『仕事は一生懸命して成果を出してなんぼ』という思いは揺るがない。
「そこでうまくいかなかったらダメ。しっかりいい仕事をして、地域のために土地、不動産を守り、発展させられるようにもなりたい」
(取材日2023/6/2 阿部由貴)
企業情報
会社名 | 有限会社衛藤測量設計 |
設立 | 1991年5月17日 |
代表者名 | 代表取締役社長 衛藤秀司 |
事業内容 | 測量、調査、設計、施工管理 |
所在地 |
〒872-0312
武蔵支店:大分県武蔵町志和利158番地 |
電話番号 | 0978-42-6929 |
ホームページ | https://www.etoss.biz/index.html |
担当者より
測量士、技術士、RCCM(農業土木、森林土木、河川、砂防及び海岸・海洋)、農業土木技術管理士、地籍主任調査調査員、監理技術者、地籍工程管理技術が活躍している職場です。資格保持者はもちろん、資格取得を目指す方、ドローンや3Dレーザースキャナー、ICT化など最新技術に触れたい、磨きたい方も大歓迎です。