湯布院で働く。旅館・チョコレートショップ、ティールーム…キャリアのベースが築かれる場所|山荘無量塔

大分県由布市湯布院町。

国内外から年間400万人もの人が訪れるという日本有数の観光温泉地。

そこに“おもてなし“を仕事とする人たちの、新たなロールモデルづくりを目指す旅館がある。

山荘無量塔(さんそう むらた)。

1992年の開業から30年を経て、今や湯布院を代表する旅館の一つとなった。

ここで働くということがキャリアのベースづくりになるという山荘無量塔の仕事について話を聞いた。

 

話を聞いた人

山荘事業部客室サービス:中村愛和さん
専務取締役:後藤克己さん
洋菓子事業部販売・広報:宮川真一さん
採用担当:井口愛さん

由布岳に一目惚れ

山荘事業部客室サービスの中村さん(入社4年目・取材時)は、将来の仕事について考えるようになった時、自分が好きなものを並べてみたという。

・人と話すこと
・人を喜ばせること
・旅行
・古い建物

これらに関連する職業があるのかとインターネットサイトで調べたところ「旅館業」そして「仲居」という仕事を知り、興味を持った。

時間を見つけては日本各地を旅行してまわっていた中村さんは大学2年の夏休み、運命の出会いを果たす。

「駅を降りた瞬間、目の前に広がった由布岳(ゆふだけ)に一目惚れしました」

由布院駅から続く観光街・湯の坪街道を歩きながら、そこで関わった人の温かさを感じたという。

湯布院で感じた温かさは日本全国を旅してきた中村さんの中でも格別だった。

「小さい町だからこそのつながり、アットホーム感が他とはちょっと違いました」

町の虜になった中村さんは「湯布院で働きたい」という思いを抱くようになった。

ここにしか就職をしたくない

就職活動が始まると、旅館業や湯布院で気になった会社のホームページをくまなくチェックし、企業訪問や就職説明会へ足を運んだ。

そして山荘無量塔で話を聞いた中村さんの胸に浮かんだ言葉は「ここにしか就職をしたくない。ここを落ちたら地元で働こう」

実は中村さん、出身も通っていた大学も東北。

直線距離でも1,200kmにも及ぶ物理的壁を越えたものは何だったのか。

「無量塔は一から十までお客様と接する」ことが決め手だったという。

無量塔では基本的に、一組のお客様に対して一人の客室サービスがお出迎えからお見送りまで担当する。

お客様から見える仕事だけでなく、客室の掃除、ベッドメイク、配膳まで行うのが無量塔スタイル。

「無量塔には女将さんがいません。客室サービス一人一人が女将さんであり、旅館の顔になります」

実際、そんな無量塔スタイルに驚き、何より感動してくれるのはお客様だという。

「海外のお客様を担当した時、宿泊翌朝の配膳をしていたら『今日もあなたなのね』と声をかけてくださいました。『夕食を用意してくれたあなたが朝食もしてくれて安心した。次来た時も担当してね』と」

職域も世代も超えた意見交換は小さな旅館ならではの魅力

無量塔スタイルにはマニュアルがない。働く仲間も20代から70代まで多種多様。

入社後、どのように仕事を覚え、磨いていくのだろうか。

「基本は先輩を見て、学んで、やってみます。言葉遣い、歩き方、座り方。研修で教えてもらうこともありますが、指先まで意識の通った所作やお客様への見えない心遣いは現場でしか学べません」

仲間の共通点は「いかにお客様に満足してもらうかということへのこだわりが強いこと」。

景色が美しい日はあえて部屋の照明を消して外に視線が導かれるように準備する。

だから意見交換も頻繁に行われるという。

「接客がうまくいかなかった時は先輩に聞いてみたり、『自分はこう考えているがあなたならどういうアプローチをするか』と意見を求めたりします」

時に支配人、副支配人、厨房、管理部門など全部署の人間を巻き込んでの意見交換が行われることも。

「スタッフルームの中央に大きなテーブルがあって囲むように座れるのも影響しているかもしれません。職域も世代も関係なくお互い質問したり、意見を言い合ったりできるのは、規模が小さい旅館ならではの魅力です」

楽しみは期待を“いい意味で”裏切ること

そんな中村さんの仕事は、お客様が予約をされた時から始まる。

初めてのお客様には旅の目的、同伴者との関係、小さなお子様やご高齢の方がいらっしゃるかなどを確認してお部屋の準備をする。

還暦祝いでいらっしゃるお客様には赤いお花を用意することも。

「リピーターのお客様であれば過去の滞在履歴をチェックします。例えば以前いらした時に花粉症が大変そうだったら、少しでも和らげる方法はないかと考えます」

細やかな気遣いに「大変では?」とちょっといじわるな質問をしてみたら、爽やかな笑顔で一刀両断された。

「毎日、楽しいです」

迷いなき一言に圧倒されていると、続けて日々の“楽しみ“を教えてくれた。

「ここには温泉、骨董品、アンティークなど様々なものがあります。それらを楽しみに来てくださるお客様も多いので、質問された時に答えられるように勉強します。言葉に出さなくてもじっと見ていらしたら、さりげなくお伝えできるように。お客様の期待をいい意味で裏切れるようにするのが楽しみなんです」

だからこそ、仕事で一番悔しいのはお客様の質問に答えられなかった時。

「私たちの仕事でお客様に見えているのは氷山の一角です。掃除、勉強など90%が準備、残りの10%がお客様が到着されてからの仕事。接客だけを頑張ればいいわけじゃない。90%の努力が、10%のお客様との時間を決めます」

キラキラ目を輝かせて話してくれる中村さんに、今後の目標を聞いた。

「海外のお客様もまた増えてきたので、英語を深めていきたいです。コミュニケーション不足でお客様が不満や諦めを感じることがないように。もしかしたらお客様にとってはそれが“初めての日本”かもしれないので」

海外の人の日本に対するイメージまでをも思慮する中村さんの決意に頭が下がる思いだった。

自分が暮らしたい場所じゃないと、大事な人を呼べない

世界からお客様がやってくる山荘無量塔はどのようにして生まれたのか。

現在、経営を担う後藤専務に経緯を聞いた。

創業者・藤林浩司氏は20代の頃、湯布院から西へ50kmほど離れた地元・大分県日田市の喫茶店で成功を納めた。

さらに湯布院でのレストラン業を経て35歳の頃、新たに始めたのが旅館業だった。

「藤林氏は飲食業を営みながら、お客様の様子をよく見ていました。『あれがいい。これが足りないんじゃないか』と仮説を立て、検証する。そこで行き着いたのが旅館業だったのだと思います」

「湯布院という小さな街で、喧騒を離れた場所で、いい佇まいを」(藤林浩司氏:右から2番目)

山荘無量塔の客室は、当時としては画期的だった“リビングが据え付けられた部屋”となっている。

それは藤林氏の「自分が暮らしたい場所じゃないと、自分の大事な人を呼べない」そんな想いからだった。

「薪の暖かさが感じられるリビング。いい音楽がいつでも聴けるように。昼はクラシック、夜はジャズがいいね」

自分のこうありたいという24時間が、そこに形づくられていった。

こうして6部屋で始まった無量塔の客室は今や12部屋となる。

無量塔を支えるチョコレート

無量塔には旅館以外にも”暮らしを豊かにする”空間がたくさんある。

ラウンジ「Tans bar(タンズバー)」、山里料理「茶寮柴扉洞窟(さりょうさいひどう)」、お蕎麦「不生庵(ふしょうあん)」、ギャラリー「artegio(アルテジオ)」…

多種多様なラインナップは実は、30年の中で収支が厳しい時に生まれた「苦し紛れ」の結果だという。

「(旅館業だけでは経営上の)エンジンが足りなかったから、補助エンジンを付けた。でも、どれも手を抜かなかったから補助エンジンが3つ、4つと主エンジンになっていきました」

主エンジンの一つに育ったのが、オリジナルチョコレートショップ「theomurata(テオムラタ)」と併設のティールーム「thetheo(テテオ)」。

その洋菓子事業部で販売・広報として働く宮川さんに話を聞いた。

接客販売、オンラインショップ対応、販促用ポスターのデザインまで担っているという宮川さん。

味はもちろん、ネーミング、パッケージ、何一つ妥協せずに磨いていった結果、無量塔の経営を支える事業の一つに育った。

旅館業に比べるとより広く、より多くのお客様と接する一方、一人一人に対する接客の時間は短い。

「いい意味で瞬間的に一喜一憂しながら仕事を楽しんでいます。自分がいいなと思うことをスタッフ、お客様と共有できるのがこの仕事の魅力です」

個性豊かなスタッフに囲まれ、刺激的な毎日を送っているという。

ブランドを築き上げた4対1の法則

2人のスタッフから共通して出てきたのが「楽しい」という言葉。

その秘密を探るべく、再び後藤専務に話を聞いた。

「創業者の藤林氏が亡くなって20年以上の歳月を経て、藤林本人から直接哲学を学んだ人はいなくなりました」

それでも今なお、藤林氏の息づかいを感じるのはなぜなのか。

「藤林氏がお客様をよく見てその想いを汲み取っていったように、スタッフ一人一人が自分なりに考え、自然と吸収していったのかもしれません。スタッフ同士の口伝いもあったでしょう」

創業時、日本人にあうように特注された椅子。無量塔イズムはさまざまな面で脈々と受け継がれてきた。

「お客様の評価が徐々に高くなったが故に、その評価を裏切らないように頑張ろうというみんなの緊張感が伝わってきます。新入社員を含め、一人一人が経営者の何十倍も暖簾の重さを感じているように思います」

「彼、彼女たちがプレッシャーを乗り越えて、お客様、自然環境と向き合った労苦の結果、無量塔というブランドが築き上げられた」と後藤専務はいう。

「スタッフがお客様と向き合う時間はわずかで、準備の時間の方が遥かに長い。準備の時間も含めておもてなしであり、準備:接客=4:1くらいになるのでは」

ここで不思議なことに、客室サービスの中村さんが言った「90%が準備、残りの10%がお客様が到着されてからの仕事」という言葉と重なって身震いした。

すべからく無言

普段からスタッフに多くの言葉を尽くして伝えているのかと思いきや、後藤専務が放った一言は「すべからく無言」。

「経営者から見ていると心配、不安になることもあるけど、できるだけ出さないようにしています」

ただし、リーダーシップの役割を担わせているスタッフにはメッセージを投げるという。

「うちには主人も女将さんもいない、スタッフ一人一人が主人の旅館です。だから、◯◯さんのすごいと思うところをピックアップしてみてはどうですか?」

なぜ、ここまで現場とスタッフを信頼するのか。

「統率ではなく、信託して自家発電してもらう方が遥かに大きくなれる。苦しんで、もがいていても自家発電ならエネルギーは無限大です」

言葉に出さず相手を信じ切るというのは、簡単なことではない。

「どうやって伝えるかは連綿と続く課題。でもやはり主役は一線で仕事をしているスタッフだから、迷いながらも信じることを続けているのは無量塔の長所ととらえています」

そんな土壌があるから、無量塔のスタッフの成長には目を見張るものがある。

「僕が成長する10倍のスピードで若い人たちは成長していると思います。本人たちは気づかない部分もあるかもしれませんが」

無量塔で働く=キャリアのベースをつくるということ

無量塔には個人の能力を伸ばすチャンスがある。

「うちで働きながら自分の好きなことを見つけたら、それにチャレンジするのもいい」

チャレンジの結果が、キャリアアップや起業など無量塔を離れる決断になることも覚悟しているという。

「フィールドが違っても、同じ志を持つ者として関わっていけたらいいと思います」

長く勤めてもらいたいのが本音だが、どこでもやっていけるキャリアのベースを身につけられるのが、無量塔で働くということなのだろう。

「無量塔では世界を見てきたお客様(VIP)に会える可能性があります」

“こういう仕事”が好きな人のための働く場所を残したいという思いも強い。

「旅館業は経済合理性が評価されやすい現代の対極にあるからこその価値があると思っています。世の中で少しずつ減っている“いいもの”を残していきたい」

続けて後藤専務は、率直な思いを吐露してくれた。

「サービス業はともすれば金融業よりも下に見られることがありますが、一番難しい仕事の一つであり、この難しい仕事をする人がより貴重になると思っています。それを(世間に)知らしめたい、というが僕の個人的な欲です」

とはいえ、まだ道半ば。

「お節介かもしれないが、素晴らしいスタッフたちの処遇、社会的地位を高めていきたい。今はやせ我慢の域を出ていないが、続けたい」

最後に、山荘無量塔が実現したいことを聞いた。

「無量塔のスタッフが湯布院で生活の基盤を持つ流れができたらいいなと思います。湯布院の自然、地域の方々の生活があり、その上に無量塔の仕事が成り立っています。だから無量塔のスタッフもそこに暮らし、無量塔がそこにある。そんなロールモデルになれるといいですね」

(取材日2023/1/23 阿部由貴)


企業情報

屋号山荘無量塔
設立1992年
代表者名藤林 ちどり
事業内容旅館業、洋菓子製造販売、別府湾サービスエリア飲食棟の運営
所在地

〒879-5102
大分県由布市湯布院町川上1264-2

電話番号0977-84-5000
ホームページhttp://www.sansou-murata.com/index.html

担当 井口さんより

旅館、製菓、販売、サービスエリア運営など、少数のお客様とじっくり向き合う仕事から、多くのお客様にサービスを提供する仕事など色々なタイプの業態があります。一つの職域を目指している方はもちろん、いろいろな役割、働き方を経験したい人にも向いてる会社です。